2010年10月16日土曜日

第37回国際福祉機器展 その2

お待たせ致しました…
大学での後期授業が本格的に始まった為になかなか更新できずにいました…

写真1 東京ビッグサイトにて
2010年10月撮影
 前回、ご報告致しました「国際福祉機器展」に関してですが、理学療法士を目指している学生さんや若い理学療法士の方には馴染みが無いかもしれません。

しかしながら、写真1のように会場では各種のセミナーや各社からの新製品に関するワークショップ等で各会場では所狭しと熱心な人たちがあふれかえっていることがあります。

中には、世界トップレベルの車いすなどの新製品の発表があり、理学療法士としては「世界のレベル」を知ることができます。


写真2 東京ビッグサイトにて
2010年9月撮影
また、多くの一般市民の方々やユーザーの方々が訪れています(写真2)。
ですから、どのような「モノ」が望まれているのかを、リサーチすることも可能かと考えています。

近年、理学療法士、あるいは理学療法を志す学生さん達の中では「学会至上主義」みたいな風潮があるかと考えられます。

この点については、機会があれば改めて取り上げてみたいと考えています。

ただ、理学療法士が学術活動として研究活動をするのは間違っていないかと思いますが、臨床の現場で患者さんが使用する補助器具(福祉機器)を知らないではすまされないのではないでしょうか?

写真3 東京ビッグサイトにて
2010年9月
 このようなことを偉そうに言っている自分も非常勤で勤務している子どもさん達が通う「発達センター」で調節することができなかった歩行器(写真3)について、会場で説明していただきました。

取り扱い業者の方々、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

しっかりと調節できるようになり、臨床の現場で子どもさん達に使用していただこうかと考えております。

2010年10月1日金曜日

第37回国際福祉機器展

写真1:(東京ビッグサイトにて 2010年9月撮影)

本日(9月30日)、東京で開催されている第37回国際福祉機器展へ参加してきました。
昨年に引き続き2年連絡の参加です。

理学療法士を目指しておられる学生さんであれば、あまりご存じないかと思います。

一方、理学療法士として勤務されておられる方には一度はお聞きになったことがある催しかと思います。

かつて、肢体不自由児施設で勤務していた頃は、毎年出かけていくようにしておりました。

理由は、脳性麻痺の子供さんたち等が使用する目的で開発された最新の車いすや座位保持装置が展示されているからです。

やはり、できるだけ新しい機器であり、できるだけ運動機能を補助する器具をリサーチしておく必要があると思っているからです。
この考えは、いまも変わっていません。

写真2:(東京ビッグサイト 2009年9月撮影)
※今年はうまく撮影できなかったので昨年のものを使用しています

毎年、会場内は本当に沢山の人たちで混雑しています。なかでも、驚くのは大勢のユーザーやその家族の方々の大変熱心な参加です。

やはり、「できる限り良いものを…」というお考えのものかと思えて仕方がありません。

各ブース前では、ユーザーと各企業の担当者との熱心な会話や質問等が繰り返されています。

理学療法士を目指している学生さんや若い理学療法士の方で福祉機器(補助器具)にご興味をお持ちの方は是非ともご参加されてはいかがでしょうか?

次回以降、少しだけ詳しくご報告できるかと思います。お楽しみにしていて下さい。


2010年9月23日木曜日

鉄道(電車)のあることの意味

写真1:JR東富山駅(2009年3月撮影)
前回、電車のことを話しましたので、少し鉄道のことを話題にしてみたいと思います。

写真1はJR東富山駅です。2008年9月から2009年3月まで、この駅で降りて前回お話しした田園風景の中を通勤致しました。

時間的には、徒歩で約30分。クルマであれば、約10分だったかと思います。

朝晩、通勤や通学の方が大勢利用していたと記憶しています。やはり、鉄道は周辺地域の住民の方々にとってはとても大切な公共交通機関だと考えています。

写真2:のと鉄道 旧 上戸駅(2010年8月撮影)
当然、高齢者にとっても利用しやすいものかと考えます。

ちょっと、ここで私の実家である能登半島の先端にはかつて鉄道がありました…

しかしながら、現在は廃止されてしまい、かつての駅舎は荒れ果てています。

約30年前、私はこの駅から旅立ちました。金沢にある理学療法士の養成校に入学するために…

その後、実家への帰省やまた金沢へ帰る時に何度も使ったと思います。

そんな、思い出深い駅舎です。詳しい経緯は憶えていませんが、経営の合理化のために廃線となったと記憶しています。

しかし、鉄道が無くなってからは駅周辺は廃れ、過疎地域であればあるほど荒廃に拍車がかかったのではないかと思えて仕方ありません。
(詳しいことは以下のURLをご覧下さい http://pi-taro.sakura.ne.jp/noto-line/

実際、私の年老いた母親は歯科医院受診のために不便になったと言っています。
代替交通となったバスでは雪の影響を受けやすく、定時の運行が難しいことが想像されます。

鉄道会社と地域住民が時間をかけて作り上げてきた共有財産だったのではないでしょうか?
地域で共有される貴重な社会資源であったことと思えてなりません。

たしかに、能登半島の先端の小さな町でも「クルマ社会」の影響を受けているものと思われるくらい、クルマでの移動が多くなっています。

ただ、「交通弱者」と言われるような高齢者や子ども達にとっては、貴重な資源であったことは疑う余地はありません。

季節柄、感傷的になっているからかもしれません。
今日は、「クルマ社会」からすれば、小さな立場に目線をおいて考えてみました。

最近は、地域のローカル線を見るたびに「いつまでも変わらない存続」を願っています。

2010年9月21日火曜日

2年前の9月…

写真1:富山県総合リハビリテーションセンターを望む
9月に入り、すでに20日が経ちました。やはり、時間の経つのは早いものですね。

読者の皆さん、お元気ですか?お変わりありませんか?・・・
本当に猛暑だった夏でしたね…
皆さんの中で体調を崩された方はおられませんか?

夏生まれで、夏が大好きな私も今夏は本当にマイってしまいました…
理由はいろいろありました…

まだかなり尾を引いて入るような状況ですが、何とか過ごしております…


写真2:富山平野から北アルプス立山・剣岳を望む
さて、「9月」と聞くと、私には多くのことを思い出します。夏休みの終わり、2学期、秋祭り、運動会…際限なく浮かんでくるようです。

でも、今日は今から2年前(2008年)の9月を思い出しています。

その年(2008年)の3月、私は金沢市にある病院を退職しました。理由は幾つかあったのですが、その1つに「ある専門学校の教員に…」という話しがありました…
(その学校の教員は以前から十分に承知している方でしたが…)

でも、私の勘違いなのか、どうかわかりませんが、蓋を開けてみると「まず非常勤から…」ということで、常勤の専任教員ではなかったのです…

何となく「騙された」というような印象が拭いきれずにいました(この点については、後日機会がありましたら、少し詳しく書いてみたいと考えています…)。

そこで、4月に入るや、就職活動を開始しました。病院や大学・専門学校の教員等々…
苦労の甲斐あってか、現在の勤務先である大学から7月に内定を頂きました。

しかしながら、勤務開始が2009年4月ということで、6ヶ月以上殆ど仕事無しでは済まされません…(当時、私は49歳)
それで、半年間の仕事を探しておりましたところ、富山県での臨時的任用職員の募集を知り、応募致しました。

幸いにも、採用していただき、2008年9月から勤務することになったのです。
当初は、毎日金沢から富山までの電車通勤に少しばかりの戸惑いを覚えたものでしたが、数週間で慣れてしまいました。

写真1・2はJR金沢駅~JR東富山駅まで電車で移動した後、JR東富山駅から徒歩で約30分間通っていた時の風景でした(撮影日:2008年9月19日)。


写真3:石川県珠洲市 2010年8月撮影
以前から言っているように、皆さんはご存知かと思いますが、私は能登半島の先端にある珠洲市の小さな町に育ちました(写真3:実家近くの田園風景)。

ですから、写真1・2にある田園風景にはとても懐かしい思いがありました…
毎朝・毎晩、田んぼの横を歩いていると、収穫の終わった田んぼから幼かった頃によく感じた稲刈り後の「(稲株の)におい」を感じ取ることができました。

稲刈り後の「あのにおい…」って、いつも子どもの頃には思っていました。

いまでも忘れていません。
2008年の9月、自分が幼かった頃のことを思い出しながら、とても幸せな気持ちで毎日仕事に行くことができたことを。
そして、毎日感謝しながら、通っていました…

さらにJR東富山駅から勤務先までの田園風景の中を北陸線が走っており、JR西日本のさまざまな列車を見ることができました。なかでも、通勤時間帯に札幌発大阪行きの「トワイライトエクスプレス」がゆっくりと走っていく姿を見ながら、「いつか乗ってみたい…」って思っていました。

あいにく、当時は電車の写真を撮影したのですが、どれもうまく撮影できていませんでしたので、
ここにはのせることができないのが残念です。

少し長くなりました…
とても幸せな2008年の9月の日々でした。

追伸:本日(9月21日)午後8時から、先日金沢でお会いした方がテレビ出演されます。
     お時間のある方はご覧下さい。
         (URL:http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/rehab/index.html

2010年9月2日木曜日

9月になりました

写真:岐阜県御母衣ダム湖 2010年8月撮影
とうとう9月に入りました。
しかしながら、まだまだ猛暑が続くようです。

本学の4年生が臨床実習を終えて、大学に帰ってきています。
本当にお疲れさまでした。

学生さん達はそれぞれの実習病院等で様々な体験を重ねてきたと思います。

この実習で得られた体験は、今後の理学療法士としての人生の中で必ず生かされてくるはずです。

今しばらくは疲れがとれないかもしれません。
しかし、少しずつ回復するようにしながら卒業研究と就職活動さらには国家試験勉強等々、何かと大変かと思いますが、あと半年(6カ月)頑張って下さい。

2010年8月27日金曜日

もうそろそろ、8月が終わろうとしています

写真:石川県珠洲市
2010年8月 撮影
能登の実家に帰省しましたが、生憎の都合で1泊だけでした。
少しずつ年老いていく母親を見ていると、もう少し一緒にいた方がいいのかもしれないのですが…

それにしても、時間の過ぎることの早さをつくづく感じております。
ついこの前、8月に入ったと思っていたのですが、連日猛暑が続き、もう月末になってしましました。

さて、本学の4年生の学生さん達は臨床実習が終わろうとしている筈です。
以前にも、このブログで書いたことかと思いますが、私も31年前の夏に臨床実習で頑張りました。

あの時の「辛かった記憶」や「頑張った記憶」は決して忘れておりません。
また、知識や技術が未熟だったにもかかわらず、一生懸命に応えて下さった患者さんは今でも感謝しております。
今の自分があるのは、「あの時の患者さん方々」のおかげだと言っても言い過ぎることはありません。

本学の学生さん達や他の養成校で理学療法士を目指す学生さん達、あるいは看護師等の他の職種を目指している学生さん達、どうか1人の患者さんでも忘れないようにして目標である資格の取得、あるいはその後の精進を進めていってください。

2010年8月16日月曜日

能登半島へ

(写真:石川県珠洲市 能登半島にて富山湾を望む 2010年8月撮影)

一昨日(13日)の東海北陸自動車道の深夜における走行から能登半島の実家に帰省していました。

昨日(14日)、金沢市内にある自宅から再び豪雨の中を出発してきたのです…
それほど、雨男ではないはずなのですが…

ともかく、一夜明けた実家うらの能登半島の8月15日は曇り空でした。
しかし、午後からになってくると写真のように青空も見え始めてきました…

東海北陸自動車道 その4

(写真:東海北陸自動車道 2010年8月撮影)

ふたたび、東海北陸自動車道の話です。

13日(金)、
大学での仕事をなんとかひと区切りをつけて、能登半島の実家への帰省のためにふたたび東海北陸自動車道へ…

午後9時過ぎに東海北陸自動車道関インターから富山方面に向けて出発。

台風一過の翌日、
天候の影響があったためかもしれません。

徹夜おどりで有名な郡上市(郡上おどり、白鳥おどり)を通過中は、猛烈な雨でした。
「こんな雨の中では、どうやって踊るのだろう…」って少しだけ疑問に思っただけで、
ひたすら目の前の路面を見つめて走行…

約1時間ほど経過した頃に、「ひるがの高原SA」に到着。
いつしか、雨は小康状態になっていました。
その後、ゆっくりと休憩を取りながら、深夜の東海北陸自動車道を走り続けました。

そして、8月13日(金)の午後11時30分頃に東海北陸自動車道城端SAに到着。
すると、そこにはいつも見かけることができないほどのクルマ、クルマ、クルマ…

そうです。皆さん、お盆の帰省中であるのと同時に午前0時を過ぎると土曜日です。
高速道路料金が1000円になるのを待っていたのです。

実を言えば、私もそうなんです…
皆さんもよくご存知かと思いますが、今年のお盆期間におけるETCによる割引の実施は土・日曜日でした。

ですから、このように14日(土)になり、日付が変わるのを待っていたドライバーが全国でたくさんいたものと想像致します。

私も少しの時間調整(時間かせぎ?? 時間つぶし??)をした後、
「料金は1000円です」との電子音のようなアナウンスを聞きながら、北陸自動車道上り線の金沢東インターを少しの安堵感を感じながら、降りることができました。

2010年8月11日水曜日

国家試験対策 その3

(写真:研究室内にて 2010年8月撮影)

一昨日来、
懸命に取り組んできました「国家試験対策用模擬試験作成」、ほぼ、完成しました。

というわけで、
午後から気分転換をかねて近くの郵便局まで行ってきました。

その際に、以前より気になっていたところがあったので、ちょっと立ち寄ってみました。



それは、長良川鉄道の駅です。
(写真撮影:岐阜県関市長良川鉄道関駅にて 2010年8月撮影)

駅の近くを何度もクルマで通っていたのですが、なかなか駅舎を見つけることができませんでした。

ようやく見つけることができたのですが、生憎ホームには車両が停車しておりませんでした。

でも、その横にありました建物の中には、整備点検中の車両があり、少しだけ見ることができました…

明日ぐらい、他の仕事も早々に片付けて 「長良川鉄道」 に乗ってみようかと考えています…

2010年8月10日火曜日

国家試験対策 その2

(写真:研究室内にて 2010年8月撮影)

昨日に引き続き、国家試験対策用の学内模擬試験の試験問題作成作業です。
ようやく終わりが見えてきました…

それにしても、疲れました…
明日には開放されたいと思っています。

ちょうど、天候も雨が続いており、涼しくなってきているかと思います。

試験問題作成にはいいのかもしれません。
ただ、外出時等には雨にぬれてしまうので困ります…

もしかしたら、九州地方に接近してきている台風の影響かもしれませんね。
あまり、大きな被害をもたらさなければいいのですが…
また帰省時期とも重ならなければいいのですが…

ともかく、少し遠ざかっている「夏の青空」が恋しくなってきています。
今週末、私に「夏の青空」が帰ってくることを祈りながら、窓ガラスを打ち付ける雨を少し恨めしく眺めています。

2010年8月9日月曜日

国家試験対策 その1

(写真:研究室内にて 2010年8月撮影)

暑い日が続いていました…

先月の梅雨明けから酷暑とも言える日々が続いていました。
読者の皆さまは、お元気でしたか…?

先週、私の方は4年生の学生がお世話になっている実習病院等への訪問があり、目まぐるしい日々を送っていました。

折からの暑さとストレスで頭はもちろん、体中が沸騰するのではないかと思うことがありました。

さらに、自分からの不注意とはいえ、追い討ちをかけるように深夜に10キロメートルを徒歩で歩かざるを得ない状況に苛まれました(詳しいことは、また機会があれば…)。

しかし、今日、自分の勤務する大学の地域だけかもしれませんが、少し雨が降ったために涼しくなったような気がします…
それで、私の方も少しだけ落ち着きを取り戻し、今日から大学へようやく出勤致しました…

少しだけ溜まっていた雑用を片付けてから、来年3月に卒業予定である4年生に対する国家試験対策用の学内模擬試験(?)の問題を作成致しました。

ようやく、自分の専門とする(?)小児領域の問題を作成することができました…
疲れました…
まだ2分野の問題作成が残っています。

それにしても、最近は理学療法士を目指す学生さんが一挙に増えているためか、出版社からの国家試験対策用の問題集等が数多く刊行されています。

また自分のことを降り返って、つぶやいてみても若い学生さん達から「過去のこと…」って一蹴されることかと思いますが、少しだけ…

私が国家試験用の勉強(?)らしきことに取り組んでいた当時は、問題集というものは存在しませんでした。
ですから、専門の月刊雑誌に掲載されていた過去の国家試験問題を複写して、はさみと糊を使って問題集を作成していたのです…

本当にホネのおれる様な作業でした。
ただ、1人で全てをやるのではなく、4人ほどのグループに分かれて各自分担を決めて取り組んでいたと記憶しています。

まぁ、そんな過去のことを今の学生さん達に話したところで、
「大変だったのですね…」って終わりかと思います。

もちろん、国家試験対策のために勉強しなければならない量は格段に増えていることは間違いのないことかと思います。

現在、理学療法士としてご活躍されている方々、あるいは他の専門職としてご活躍されている方々でもかつては国家試験対策の勉強に一生懸命取り組まれたことと思います。

「あの必死に取り組んだ日々を、どうか忘れることなく過ごしていただけたら…」って思いながら、
明日も問題作成に取り組む日々が続きます…

2010年8月8日日曜日

東海北陸自動車道 その3

(写真:岐阜県白川村 2010年8月撮影)

もう一度、東海北陸自動車道の続きです。

前回、紹介致しました 東海北陸自動車道城端SAを岐阜県側に向かって出発して、約15分ほどで1995年ユネスコの世界遺産に登録されて有名な岐阜県白川郷に到着することができます。

(写真には合掌造りが写っていなくて大変申し訳ございません…今度機会がありましたら、是非とも写真撮影目的で高速道路より降りて撮影致します…と前回記載致しましたが、白川村に行ってきました)

このことは、私が紹介する必要も無く、皆さん十分にご存知かと思います。
そして、この白川郷を左手に東海北陸自動車道は山間を縫うように走っております。

その中で、最も長いトンネルである飛騨トンネル(前々回に紹介致しました)は、写真の中央上に写っている籾糠山(もみぬかやま)を貫いているそうです。それで全長が約11キロもあるのですね。

もし、ご興味がある方は『-秘境を貫く-飛騨トンネルの物語 中日本高速道路株式会社発行』に詳しく掘削時の苦労や経緯が書いてあります。
私、個人的にはまだ読了致しておりませんが、ご興味のある方は是非ご一読下さい。

このブログの読者の方々は、理学療法士を目指している学生さんや理学療法士を職業としている方々が多いかもしれません。

あるいは、全く異なる職業の方々が読者になって下さっているかもしれませんが、どのような職業であっても必ず苦労があるかとも思います。また悩みを持っておられることと考えます。

そんな皆さまに「仕事を貫く」喜びや苦労を知って頂けたら幸いに思い、ご紹介致しました。

2010年8月6日金曜日

東海北陸自動車道 その2

(写真:富山県南砺市城端 東海北陸自動車道城端SA 岐阜県側を望む 2010年8月撮影)

東海北陸自動車道の続きです。

昨日は、東海北陸自動車道の話を致しました。
今日も続きです。

岐阜県側から富山県側へ通り抜けると、目の前に砺波平野が拡がっていることは昨日述べました。

しかし、砺波平野を背中にして180度方向転換してみますと、そこには写真のような飛騨の山々が見えます。

私は能登半島の海辺に育ったものですから、標高の高い山々が目の前に聳えていると圧倒されてしまいます。

最初からですが、未だに慣れない状態です。
「いまから、岐阜へ向かうんだなぁ…」と思うと同時に「56個(関インターまでは、54個通過しなければならないのです)のトンネルを越えないといけないんだ…」って思うと気持ちが怯んでしまいます…

「何か楽しいことがあるかもしれない…」あるいは「だれかが、そっと支えていてくれるかもしれない…」と思いながら、そんな気持ちを払拭させるようにして前に進みます(私の場合、クルマで岐阜へ向かいます)。

少しだけ、ボヤキが入ったかもしれません…
スミマセン…

さて、今も臨床実習に取り組んでおられる理学療法を学ぶ学生さん達へ
どうか、前を向いて取り組んで欲しいと思います。

2010年8月4日水曜日

東海北陸自動車道

今日は話題を変えて、
一昨日、高山市の実習地訪問の際に通った 東海北陸自動車道 についてです。

昨年4月、現在の大学に赴任して以来、東海北陸自動車道を頻繁に利用するようになりました。
この高速道路は一昨年7月に白川郷インター・飛騨清見インター間が開通し、全面通行可能となりました。

ご存知の方がおられるかもしれませんが、よく利用するものとして少しだけ感想を言わせてもらいたいと思います。
全面通行前は、非常に不便な道路だったかと思われます。

私も一度だけ北陸自動車道から小矢部ジャンクションを経て東海北陸自動車道に入りました。そして白川郷インターから一旦高速道路を降りて、荘川インターから再び高速道路に入るという経路で岐阜県の方へ行ったことがあります。

その時と比較すれば格段の差があり、本当に便利になったものと思います。
しかしながら、飛騨山脈を走り抜ける高速道路ならではかと思いますが、トンネルが56個あります。


(写真:岐阜県飛騨市 東海北陸自動車道下り車線 飛騨河合PAにて飛騨トンネル入り口 2009年10月撮影)

中でも飛騨トンネルは長さ約11キロあります。個人的には、もう通過することには慣れたかと思いますが、それでもトンネル内では対面通行であり、緊張を強いられることが度々あります。

最後のトンネルを無事通過し、富山県側に抜けた時には本当に全身的に開放感に包まれるような感覚になります。

(写真:富山県南砺市城端 東海北陸自動車道城端SAから高岡市二上山方向を望む 2010年8月撮影)

そして、目の前には広がる砺波平野が飛び込んできます。
この1年5ヶ月間で、深夜早朝に幾度となく砺波平野を見るたびに安堵感に包まれてきたかわかりません。

大胆な表現を許してもらえるならば、宝石を散りばめたような明かりがとても綺麗な平野の夜景だったり、時には曇り空の下、視界が不良だったり、冬には風雪が舞う厳しい冬の景色だったことが記憶にあります。嬉しい気持ちで眺めたり、あるいはちょっと淋しい気持ちだったり、とても悲しい気持ちに包まれたことがありました…
そして、「本当に1年365日、全く同じ光景なんてないものだなぁ…」って実感しました。

ヒトの一生も1年と同じで、晴れの日があったり、曇りの日があったり、あるいは吹雪の日があったりするものだと思います。

だから、いま理学療法士を目指して臨床実習にのぞんでいる学生さん、あるいはこのブログを読んで下さっている方々、いまが土砂降りの雨の日であるかもしれません。
それでも、雨の日がずぅーと続くわけがありません。

私自身も晴れの日ばかりの人生を送っているとは思いません。
個人的には、「ときどき、嵐が通り過ぎるようだなぁ…曇りばかりの日が多いのかなぁ…」って考えることがあります。

それでも、晴れの日を待ち望みながら、前に進んで行くように生きているつもりです。
アナタも「宝石を散りばめたような砺波平野」を眺めに出かけてみませんか…

2010年8月3日火曜日

実習地訪問


写真:岐阜県郡上市 ひるがの高原 2010年8月撮影 
注:富山県(日本海)方面を望む

8月に入り、暑い日が続いています。

昨日、本学4年生の学生が総合臨床実習(7週間)をさせて頂いている高山市の病院へ日帰りで実習地訪問に行ってきました。

途中、高速道路(東海北陸自動車道)のサービスエリアでは、家族連れなどの観光客が大勢くつろいでいる様子を目にしてきました。

2年程前までは、学校の先生に訪問される方だったのですが、
いまは逆の立場です。高山市にある病院は2度目の訪問ですが、やはり緊張します。

「時間に遅れるのではないだろうか?」あるいは「実習生はちゃんと頑張っているだろうか?」等々、数え上げれば限がありません。

かつての自分もこのように養成校の先生に不安を抱かせていたのだろうかと考えると、もう30年ほど前のことになりますが、「もう少し頑張っていれば良かったなぁ…」としみじみと考え込んでしまいます。

約1時間程の間、臨床実習指導者の理学療法士の先生、そして学生との話しを終えるや次の実習地へ向かいました。

「もう少しゆっくりと学生と夕食でも食べながら、学校から少し離れた実習病院で1人で頑張っている学生さんの不安を聞いてあげれれば良かったのになぁ…」って考える余裕すらなく高速道路をひたすら走り続けました…

2010年8月1日日曜日

8月になりました…


(写真:高岡市雨晴海岸 2005年7月撮影)

今日から8月です。

海や山に出掛けて楽しんでいるヒトが多いかと思います。

でも、大学や専門学校で理学療法を学んでいる学生さん達は、
4年生あるいは3年生であれば総合臨床実習に取り組んでおられる真っ最中かと思われます。

(学校により、呼び方が多少異なるかと思いますが、比較的長期間にわたり病院あるいは施設等で実際に患者さんを担当し理学療法を学ぶ実習です)

かつて、私も29年前(1981年)、7月中旬頃より9月中旬まで連続10週間の臨床実習を経験しました(実際は10週間の実習を3回実施です)。真夏の時期には、とても辛かった記憶が残っています。

当時は、エアコンなんて家庭でもあまり普及しておらず、まして学生が間借りしていたような6畳一間の部屋にはエアコンなんてありませんでした。

それで、暑さと睡魔との闘いの中、毎日レポートに取り組んでいました。
いつの間にか、目が覚めると朝になっていたことがあり、レポートを十分に書くことができないままに病院へ行ったこともありました。
当時の私は、決して成績の良い学生ではなく、どちらかと言えば成績の悪い学生だったはずです。

だから、そのようにレポートが仕上がらないままに朝になった時、
「このまま書いていても仕上がらないだろう。指導の理学療法士の先生に叱られるのは間違いない」と勝手に思い込みました。

そして、「せめて朝食をしっかりと食べて行き、満腹で叱られていた方が耐えやすいだろう…」と勝手な考えで、しっかりと朝食を食べて行った記憶が残っています。
(しっかりと食べたと言っても、菓子パン程度だったと思いますが…)


そのような、私にとって当時は辛かった思い出も、あとになった今では良い思い出になっています。

ですから、いま臨床実習に一生懸命に取り組んでいる理学療法学科の学生さん達も「少しツライ」かもしれませんが、どうか何とか乗り切ってもらいたいと思っています。

2010年7月31日土曜日

自転車による小旅行


(写真:石川県能登半島 能登町小木漁港 2008年5月撮影)

マーちゃんとの自転車による小旅行は、私に大きな影響を与えたものと思います。
それで次の年の春休みにも自転車による小旅行を慣行することになったのだと思います。

ただ、次の年は誰と行ったのか記憶が定かではありません。
でも、目的地は前年と同じ能都町宇出津だったと記憶しています。
たぶん、理由はあるのかと思いますが、改めて別の機会に考えてみることにします…

その後、私は中学生時代には自転車による小旅行は行わなかったと記憶していますが、
高校2年生の夏休みには、再び能都町宇出津への自転車による小旅行をしました。

この時は、中学・高校の同期生のポンポン(男子)と中学・高校の同期だったみつえさん、そして高校から同期だったアッちゃん(私はニックネームで呼ぶことはなかったが、女子の同期はみんな、そのように呼んでいましたから、そのように書かせていただきます…)と私の4人でした。

当時、別にそれぞれがつき合っていたわけではなかったのですが、
私かポンポンが声を掛けて自転車旅行をしたのではないかと思われます(だれが言い出したのか、全く記憶がありません…)。
でも、ちょっとだけ大人になった気分で自転車旅行をした思い出に残っています。

私はこれまで述べてきたように幼少期から青年期にかけてほんの少しではありましたが、自転車での小旅行を経験した影響で理学療法の学生時代には、もっと遠くへ行ってみたいと思い、自転車による北海道旅行を慣行したのです。

この旅行は私にとっては忘れられない旅行になったことは既に述べましたが、
別の面でも忘れられない幕切れとなりました。
昭和57年(1982年)の9月、北海道旅行を終えて能登半島の実家に帰った時に、母から信じられないことを告げられました。

私の北海道旅行の最中にマーちゃんがクルマによる交通事故で亡くなっていたのでした…
その話しを聞いた時、信じられないのと同時に大きなケガ1つすることなく帰ってこれたのは、マーちゃんのお蔭と思い、幼い日々の冒険を思い出していました。

少し長くなり、まわり道になりました。
理学療法士を目指して学生生活を送っている学生さんには、学生時代にしか経験できないような体験を是非とも夏休みに実行してもらいたいと思っています。

もちろん、1人の人間として成長するよう体験ですよ。
決して、反社会的な体験ではないことを十分に理解して行動して頂きたいと思います。

2010年7月30日金曜日

マーちゃんとの小旅行 続き


(写真:富山県富山市岩瀬浜 2008年8月撮影)

マーちゃんとの小旅行の続きです。

マーちゃんとの自転車による小旅行ですが、
私は以前にも書きましたように「中古の普通車」でした。
でも、マーちゃんはピカピカのサイクリング車です。

見た目のカッコよさだけではなく、続く坂道ではギアをチェンジしてその威力を発揮していたと記憶しています。

一方、私は普通車なのでギアチェンジはできませんでした。だから、常時マーちゃんの後ろ姿を追いかけるようにしていました。

宇出津に到着すると、たしか遠島山公園に行ったと記憶しています。
理由は、私が小学校2年生まで宇出津の地で過ごしていたことがあり、私は幼いながらも遠島山公園近くの土地勘を持っていたためかと思っています。

その遠島山公園でマーちゃんと近くの店で買ったパンを食べたように記憶しています。
そして、珠洲の家に帰ったのは午後7時を過ぎていたかと思っています。

というのは、帰宅した直後に私は母親から酷く叱られた記憶が残っているからです。
実は自転車による小旅行は、次の年の春休みにも敢行したと記憶しています。

もしかしたら、母親からヒドク叱られたのは次の年だったのかもしれません。

マーちゃんとの小旅行

私の自転車での旅行好きは、
マーちゃんとの小旅行が出発点になったことまでは話しましたね。

続きです。

時は、春休み
3月の下旬でした。小学校のグラウンド(当時は、運動場って言っていました…)で誰が声を掛けるまでもなく集まっていました(私とマーちゃんだけではなく、その他の一つ上の上級生や私達小学校5年生などの下級生もいたと思っています)。

その中で、どちらからでもなかったと思います。(40年も前の記憶です。不確かをお許し下さい…)
「遠出しよう…」ってことになりました。

それで、小学校6年生になろうとする私と中学1年生になろうとしているマーちゃんと二人で鳳至郡能都町の宇出津っていう町までの1日がかりの自転車による小旅行を敢行することになったのです。

2010年7月28日水曜日

もうすぐ夏休みです その2


(写真:石川県能登半島珠洲市 2009年8月撮影)

夏休みの続きです。

28年前、私が夏休みを利用して自転車による北海道旅行したことはすでに言いましたが、
51年間の生涯の中で大きな転換点になったことは明らかであると思います。

おそらく、この旅行が無ければ、私自身が理学療法士を職業として続けてこなかった可能性があります。それくらい、この自転車による北海道旅行は私を変えてくれたと思っています。

自転車による旅行の話しになってきましたので、
私自身が自転車による旅行にこだわることについて考えてみたいと思います。

私は昭和40年代能登半島の先端の小さな町で育ちました。
誰の影響を受けたか記憶は無いのですが、小学校5年生の頃から自転車にのって遠出(いわゆる サイクリングってことなのでしょう…)することが楽しみになっておりました。

当時、最も遠出した初めての経験は片道約20キロメートル離れた所への1日がかりの小旅行でした。時節は3月の下旬、どうしてその時期だったのかは明らかでした。

当時の私は小学校5年生の終わりの春休み、
1つ上の上級生である マーちゃん(マサユキさんという名前の先輩でした)が小学校を卒業し、いよいよ中学生になることで自転車通学用の新しいサイクリング車を買ってもらっていました。

私の自転車といえば、中古で買ってもらった自転車でした。
当時も子ども用自転車はありましたが、普通車の中古車でした。

自分としては子ども用の自転車が欲しかった記憶が残っていますが、中古の子ども用自転車は無く、仕方なく普通車の自転車を乗り回していた記憶がおぼろげながら残っています。

そんな当時の状況でしたから、マーちゃんのピカピカのサイクリング車をそばで見ていて本当の羨ましく思っていました…

時折、マーちゃんは小学校のグラウンドへ少し自慢げに真新しいサイクリング車に乗って遊びに来ていました。そんなマーちゃんと片道約20キロメートル、往復約40キロメートルの小旅行を体験することになったのです…

2010年7月27日火曜日

もう夏休みです


(写真:石川県能登半島珠洲市 2006年8月撮影)

昨日、勤務する大学の前期期末試験期間が終了しました。

一息つく間もなく、試験結果が気になる学生が大勢来室しました。
ちょっと、閉口気味です。

気になるのは仕方ないにしても、それだけ自信の無さの表れかと思っています。
若い学生さんにすれば仕方のないことなのかもしれません。

自分自身のことをふり返れば、それほど優秀な成績ではなかったはずですが、
教員の研究室まで押しかけて成績を聞こうという行動は取らなかったかと記憶しています。

もっとも、押しかけて行って聞こうものなら、
自分の不勉強さを指摘される恐れがあったからかもしれません…

どちらにしても、もうすぐ夏休みです。
若い学生さん達は試験結果に一喜一憂することなく、充実した時間を過ごすようにしてもらいたいと思っています。

長期間の休みですから、いろいろなことにチャレンジしてみても構わないかと考えています。
28年前、私も夏休み期間に自転車で金沢~新潟、そして北海道へと旅行をしたことがとても楽しかった記憶として残っています。

日頃、なかなかできないアルバイトやボランティア活動等々、何でも構わないと思います。
夢中になれるくらいに取り組めば、何かがつかめる夏休みになるのではないでしょうか?

2010年7月22日木曜日

31年前にも…


(写真:JR新横はま駅 2010年7月撮影)

今夜、横浜に着きました。
明日、市内の施設で臨床業務に入るためです。
今年の5月から今月末までの勤務です。

思い出せば、私が生まれて初めて横浜を訪れたのは、
31年前(1979年)、やはり7月の20日少し前くらいだったと思います。

その年の4月、金沢市内に開設された理学療法士、作業療法士の養成校の専任講師と助手の先生2人の合計3人(記憶が定かではないのですが、おそらく3人くらいだったと記憶しています…)の引率で、東京や横浜のリハビリテーション施設を見学したことでした。

金沢・上野間を結ぶ 「急行能登」での往復で金沢・東京間を移動したために、睡眠不足で少し辛かったことを記憶しています(残念ながら、急行能登は今年3月で廃止になりました…)。

夏休みに入って間もない時期だったので、少し早い夏休みの旅行気分での見学ツアーのようなものでした。その時、横浜の大学病院のリハビリテーション科を見学させて頂きました。

これから自分たちが選択しようとしている職業の厳しさを垣間見たように憶えています。
その当時の思い出が走馬灯の様によみがえってくる横浜にいることが何だか不思議な気がしてなりません。

今回の横浜滞在中は、少し青春の思い出に浸りながら過ごそうかと考えています。

2010年7月20日火曜日

少しご無沙汰しておりました…


(石川県かほく市白尾海岸 2007年6月撮影)

更新、少しご無沙汰しておりました…

個人的に今年5月から1週間に1回の頻度で出かけていた理学療法の臨床業務や大学の前期末試験準備等に追われておりました。

この間、参議院議員選挙がありました。
その結果、今後の日本の政治がどのようになっていくのかも皆目検討がつかないような状況になってきたような印象です。

また、つい先日までは日本列島のあちらこちらで梅雨末期の集中豪雨(最近ではゲリラ豪雨と言うが…)による甚大なる被害がありました。

しかし、先週末から、これまでの雨が嘘だったかのように真夏の日差しが容赦なく襲ってきています。 今度は熱中症などで人々が倒れる心配がでてきているようです。

なんだか、私達を取り囲む環境の振幅が非常に大きくふれているような気がします…
このままだと、どのような環境になってゆくのかと考えると不安になってきます。

もちろん、環境だけではなく、日本が直面している少子高齢社会の問題や経済の問題等々を考えると解決しなければいけない問題が山積していると思われます。
本当に私達日本人は、いまとても大切な時期に直面しているような気がしてなりません。

今日は、理学療法や大学とは全く関係のないようなことを少し考えてみましたが、
約30年前の自分がこのようなことを考えるとは夢にも思いませんでした。
ましてや、自分が大学の教員になり、理学療法士を志す学生を教える立場になるとは想像すらできませんでした。

2010年6月30日水曜日

31年前の今日


(写真:石川県能登半島 珠洲市 2006年8月撮影 高校生まで毎日この海を見て育ちました…)

6月30日です。
今日で私は51回目の誕生日を迎えました。

31年前、1979年6月30日(ちょうど二十歳の誕生日でした)
今でもはっきりと記憶に残っていますが、土曜日でした。

私は昼飯を学生食堂でとった後、二階にあるテラスで作業療法学科の友人(と言っても、私より約10歳ほど年上で一度大学生活を経験されてから、当時の養成校に入学してこられた方でした)と二人でノンビリとしておりました。

私はUさん(ウーさんとしておきましょう…)と何気なく話しをしている中で、
「今日が二十歳の誕生日なんだ…」と言うと、すかさずUさんは「今日から二十歳になったんだったら、その辺の食堂で食い逃げをやっても、実名で報道されるぞ…」と言われました。

私は「二十歳になるって、そういうことなんだ…」って感慨深げに思った記憶がいまだに残っています。 その日は、夕方から翌朝までUさんの下宿で一夜を語り明かして、日曜日の朝に土砂降りの中を自分の下宿へ帰った光景がいまだに目に焼き付いています。

あれから31年が過ぎてしまいました…
少しぐらいしか進歩していない自分がここにいるような気がします。

一方、Uさんはあれから約3年後に作業療法士になることを断念し、故郷の福島へ帰っていかれました。その後、学習塾の講師や家庭教師を勤められました。その間、2度ほどお会いする機会があったと記憶しています。しかしながら、10年前の秋に突然他界されてしまいました。

「いま、お元気でおられたら、たくさん話したいことがあるなぁ…」と考え込んでしまうことがあります。 私にとっては「大人になるということは…」と一番最初に教えて下さった方のなのかもしれません。

毎年、誕生日を迎えると必ず思い出します。
楽しかった青春の日々の誕生日の思い出です。




2010年6月29日火曜日

近年は…

先日、理学療法士の養成校が増え続けている話しを致しました。
もちろん、同時に理学療法を学ぶ学生さんが増えていることも当然のことかと思います。

これらの学生さん達が手にする理学療法に関する専門書も増えていることも事実かと思われます。昔の話をして申し訳ないのですが、私が理学療法の勉強を始めた頃と比較すると雲泥の差があると言っても過言ではないかと思います。

一体、どれくらいの出版物(理学療法に関する)があるのか、検討がつかないほどです。先日も岐阜県で開催された第45回日本理学療法学術大会での書籍コーナーでは目を見張るものがありました。

私は自分があまり熱心に勉強に取り組んでこなかった反省をこめて、日ごろから学生さん達には「書籍や情報等には本当に恵まれている…どうか一生懸命に理学療法の勉強に励んで下さい…」といつも言い続けています。

2010年6月28日月曜日

そろそろ…

今日は梅雨の間の晴れ間だったのでしょうか…
曇り空だったのかもしれませんが、少しノンビリと過ごせたような気持ちです。

しかしながら、学内ではそろそろ試験期間が近づいているせいか、何となく学生さんが落ち着かない様子です。確かにかつての自分にも思い当たることがあります…

でも、定期試験が終わったら夏休みですよ。
思いっきり楽しむためにも、思いっきり勉強して夏休みを迎えて欲しいと思います。

2010年6月27日日曜日

お疲れさまでした。

生憎の梅雨空の下、オープンキャンパスへの参加、
お疲れさまでした。
高校生の皆さんやご父兄の皆さん、いかがでしたか?

7月25日(日)にも開催予定です。
今回残念ながら参加できなかった方、是非ともお待ち致しております。

また今回の参加の皆さんでもう一度ご参加希望の方があれば、どうぞお越し下さい。
お待ち致しております。

今日は…


(写真:岐阜県関市 2009年7月撮影)

今日は日曜日ですが、出勤です。
理由は大学のオープンキャンパスです。

2010年度、第1回目の開催日です。
教職員は少し緊張した雰囲気で始まっています。

ぼちぼち、高校生を乗せたスクールバスがキャンパスに到着しています。
高校生の皆さん、将来の大学生活を描いてしっかりと体験していって下さい(写真は昨年の模様)。

2010年6月26日土曜日

振り返れば…

自分の過去を振り返れば、
31年前、私は理学療法士の養成学校へ進学しました。
当時、日本においては理学療法士の養成学校は数えるほどしかありませんでした。

しかしながら、現在は学校総数249校となっています。
(現在募集校 241校,定員13,339名 平成22年5月27日現在 日本理学療法士協会ホームページより http://wwwsoc.nii.ac.jp/jpta/school.html

はじめてみようかと思います…


(写真:富山県高岡市 2005年4月撮影)

理学療法士(physiotherapist)をしています。
約20年間ほど、こどもさんを対象とした理学療法の現場に勤務してきました。

現在は大学の専任講師をしています。
日々、感じたことをブログに書いていこうかと思っています。