2010年7月31日土曜日

自転車による小旅行


(写真:石川県能登半島 能登町小木漁港 2008年5月撮影)

マーちゃんとの自転車による小旅行は、私に大きな影響を与えたものと思います。
それで次の年の春休みにも自転車による小旅行を慣行することになったのだと思います。

ただ、次の年は誰と行ったのか記憶が定かではありません。
でも、目的地は前年と同じ能都町宇出津だったと記憶しています。
たぶん、理由はあるのかと思いますが、改めて別の機会に考えてみることにします…

その後、私は中学生時代には自転車による小旅行は行わなかったと記憶していますが、
高校2年生の夏休みには、再び能都町宇出津への自転車による小旅行をしました。

この時は、中学・高校の同期生のポンポン(男子)と中学・高校の同期だったみつえさん、そして高校から同期だったアッちゃん(私はニックネームで呼ぶことはなかったが、女子の同期はみんな、そのように呼んでいましたから、そのように書かせていただきます…)と私の4人でした。

当時、別にそれぞれがつき合っていたわけではなかったのですが、
私かポンポンが声を掛けて自転車旅行をしたのではないかと思われます(だれが言い出したのか、全く記憶がありません…)。
でも、ちょっとだけ大人になった気分で自転車旅行をした思い出に残っています。

私はこれまで述べてきたように幼少期から青年期にかけてほんの少しではありましたが、自転車での小旅行を経験した影響で理学療法の学生時代には、もっと遠くへ行ってみたいと思い、自転車による北海道旅行を慣行したのです。

この旅行は私にとっては忘れられない旅行になったことは既に述べましたが、
別の面でも忘れられない幕切れとなりました。
昭和57年(1982年)の9月、北海道旅行を終えて能登半島の実家に帰った時に、母から信じられないことを告げられました。

私の北海道旅行の最中にマーちゃんがクルマによる交通事故で亡くなっていたのでした…
その話しを聞いた時、信じられないのと同時に大きなケガ1つすることなく帰ってこれたのは、マーちゃんのお蔭と思い、幼い日々の冒険を思い出していました。

少し長くなり、まわり道になりました。
理学療法士を目指して学生生活を送っている学生さんには、学生時代にしか経験できないような体験を是非とも夏休みに実行してもらいたいと思っています。

もちろん、1人の人間として成長するよう体験ですよ。
決して、反社会的な体験ではないことを十分に理解して行動して頂きたいと思います。

2010年7月30日金曜日

マーちゃんとの小旅行 続き


(写真:富山県富山市岩瀬浜 2008年8月撮影)

マーちゃんとの小旅行の続きです。

マーちゃんとの自転車による小旅行ですが、
私は以前にも書きましたように「中古の普通車」でした。
でも、マーちゃんはピカピカのサイクリング車です。

見た目のカッコよさだけではなく、続く坂道ではギアをチェンジしてその威力を発揮していたと記憶しています。

一方、私は普通車なのでギアチェンジはできませんでした。だから、常時マーちゃんの後ろ姿を追いかけるようにしていました。

宇出津に到着すると、たしか遠島山公園に行ったと記憶しています。
理由は、私が小学校2年生まで宇出津の地で過ごしていたことがあり、私は幼いながらも遠島山公園近くの土地勘を持っていたためかと思っています。

その遠島山公園でマーちゃんと近くの店で買ったパンを食べたように記憶しています。
そして、珠洲の家に帰ったのは午後7時を過ぎていたかと思っています。

というのは、帰宅した直後に私は母親から酷く叱られた記憶が残っているからです。
実は自転車による小旅行は、次の年の春休みにも敢行したと記憶しています。

もしかしたら、母親からヒドク叱られたのは次の年だったのかもしれません。

マーちゃんとの小旅行

私の自転車での旅行好きは、
マーちゃんとの小旅行が出発点になったことまでは話しましたね。

続きです。

時は、春休み
3月の下旬でした。小学校のグラウンド(当時は、運動場って言っていました…)で誰が声を掛けるまでもなく集まっていました(私とマーちゃんだけではなく、その他の一つ上の上級生や私達小学校5年生などの下級生もいたと思っています)。

その中で、どちらからでもなかったと思います。(40年も前の記憶です。不確かをお許し下さい…)
「遠出しよう…」ってことになりました。

それで、小学校6年生になろうとする私と中学1年生になろうとしているマーちゃんと二人で鳳至郡能都町の宇出津っていう町までの1日がかりの自転車による小旅行を敢行することになったのです。

2010年7月28日水曜日

もうすぐ夏休みです その2


(写真:石川県能登半島珠洲市 2009年8月撮影)

夏休みの続きです。

28年前、私が夏休みを利用して自転車による北海道旅行したことはすでに言いましたが、
51年間の生涯の中で大きな転換点になったことは明らかであると思います。

おそらく、この旅行が無ければ、私自身が理学療法士を職業として続けてこなかった可能性があります。それくらい、この自転車による北海道旅行は私を変えてくれたと思っています。

自転車による旅行の話しになってきましたので、
私自身が自転車による旅行にこだわることについて考えてみたいと思います。

私は昭和40年代能登半島の先端の小さな町で育ちました。
誰の影響を受けたか記憶は無いのですが、小学校5年生の頃から自転車にのって遠出(いわゆる サイクリングってことなのでしょう…)することが楽しみになっておりました。

当時、最も遠出した初めての経験は片道約20キロメートル離れた所への1日がかりの小旅行でした。時節は3月の下旬、どうしてその時期だったのかは明らかでした。

当時の私は小学校5年生の終わりの春休み、
1つ上の上級生である マーちゃん(マサユキさんという名前の先輩でした)が小学校を卒業し、いよいよ中学生になることで自転車通学用の新しいサイクリング車を買ってもらっていました。

私の自転車といえば、中古で買ってもらった自転車でした。
当時も子ども用自転車はありましたが、普通車の中古車でした。

自分としては子ども用の自転車が欲しかった記憶が残っていますが、中古の子ども用自転車は無く、仕方なく普通車の自転車を乗り回していた記憶がおぼろげながら残っています。

そんな当時の状況でしたから、マーちゃんのピカピカのサイクリング車をそばで見ていて本当の羨ましく思っていました…

時折、マーちゃんは小学校のグラウンドへ少し自慢げに真新しいサイクリング車に乗って遊びに来ていました。そんなマーちゃんと片道約20キロメートル、往復約40キロメートルの小旅行を体験することになったのです…

2010年7月27日火曜日

もう夏休みです


(写真:石川県能登半島珠洲市 2006年8月撮影)

昨日、勤務する大学の前期期末試験期間が終了しました。

一息つく間もなく、試験結果が気になる学生が大勢来室しました。
ちょっと、閉口気味です。

気になるのは仕方ないにしても、それだけ自信の無さの表れかと思っています。
若い学生さんにすれば仕方のないことなのかもしれません。

自分自身のことをふり返れば、それほど優秀な成績ではなかったはずですが、
教員の研究室まで押しかけて成績を聞こうという行動は取らなかったかと記憶しています。

もっとも、押しかけて行って聞こうものなら、
自分の不勉強さを指摘される恐れがあったからかもしれません…

どちらにしても、もうすぐ夏休みです。
若い学生さん達は試験結果に一喜一憂することなく、充実した時間を過ごすようにしてもらいたいと思っています。

長期間の休みですから、いろいろなことにチャレンジしてみても構わないかと考えています。
28年前、私も夏休み期間に自転車で金沢~新潟、そして北海道へと旅行をしたことがとても楽しかった記憶として残っています。

日頃、なかなかできないアルバイトやボランティア活動等々、何でも構わないと思います。
夢中になれるくらいに取り組めば、何かがつかめる夏休みになるのではないでしょうか?

2010年7月22日木曜日

31年前にも…


(写真:JR新横はま駅 2010年7月撮影)

今夜、横浜に着きました。
明日、市内の施設で臨床業務に入るためです。
今年の5月から今月末までの勤務です。

思い出せば、私が生まれて初めて横浜を訪れたのは、
31年前(1979年)、やはり7月の20日少し前くらいだったと思います。

その年の4月、金沢市内に開設された理学療法士、作業療法士の養成校の専任講師と助手の先生2人の合計3人(記憶が定かではないのですが、おそらく3人くらいだったと記憶しています…)の引率で、東京や横浜のリハビリテーション施設を見学したことでした。

金沢・上野間を結ぶ 「急行能登」での往復で金沢・東京間を移動したために、睡眠不足で少し辛かったことを記憶しています(残念ながら、急行能登は今年3月で廃止になりました…)。

夏休みに入って間もない時期だったので、少し早い夏休みの旅行気分での見学ツアーのようなものでした。その時、横浜の大学病院のリハビリテーション科を見学させて頂きました。

これから自分たちが選択しようとしている職業の厳しさを垣間見たように憶えています。
その当時の思い出が走馬灯の様によみがえってくる横浜にいることが何だか不思議な気がしてなりません。

今回の横浜滞在中は、少し青春の思い出に浸りながら過ごそうかと考えています。

2010年7月20日火曜日

少しご無沙汰しておりました…


(石川県かほく市白尾海岸 2007年6月撮影)

更新、少しご無沙汰しておりました…

個人的に今年5月から1週間に1回の頻度で出かけていた理学療法の臨床業務や大学の前期末試験準備等に追われておりました。

この間、参議院議員選挙がありました。
その結果、今後の日本の政治がどのようになっていくのかも皆目検討がつかないような状況になってきたような印象です。

また、つい先日までは日本列島のあちらこちらで梅雨末期の集中豪雨(最近ではゲリラ豪雨と言うが…)による甚大なる被害がありました。

しかし、先週末から、これまでの雨が嘘だったかのように真夏の日差しが容赦なく襲ってきています。 今度は熱中症などで人々が倒れる心配がでてきているようです。

なんだか、私達を取り囲む環境の振幅が非常に大きくふれているような気がします…
このままだと、どのような環境になってゆくのかと考えると不安になってきます。

もちろん、環境だけではなく、日本が直面している少子高齢社会の問題や経済の問題等々を考えると解決しなければいけない問題が山積していると思われます。
本当に私達日本人は、いまとても大切な時期に直面しているような気がしてなりません。

今日は、理学療法や大学とは全く関係のないようなことを少し考えてみましたが、
約30年前の自分がこのようなことを考えるとは夢にも思いませんでした。
ましてや、自分が大学の教員になり、理学療法士を志す学生を教える立場になるとは想像すらできませんでした。