2011年8月13日土曜日

恩師のこと‐その2

 前回は、私が理学療法士になって初めて勤務した職場の園長先生の話しを少しだけさせて頂きました。 

 その続きです。
 N.T 先生は大正15年生まれの方でした。とても、そのような雰囲気がしない整形外科の先生でした。というのは、ひとことで言い切ることはできませんが、当時にしては、本当に腰の低いドクターでした。患者さんに対してはもちろん、私達のような年下のものに対してもでした。
 
 学生の時に習っていた時はもちろんでしたが、理学療法士として勤務して先生の下(もと)で仕事をさせて頂いていた時もでした。私達に対して、絶対に叱ったことが無かったと記憶しています。いつも、笑顔で接して下さっていました。本当に笑顔しか見たことが無かった先生でした。

 そんな魅力的な先生と「一緒に長く仕事をしたかった…」と、今も思っています…
実は、昭和62年7月初旬、先生は突然他界されたのでした。享年62歳でした。
 それまでは激しい臨床業務に携われる一方、長くに闘病生活も送っておられたのでした。
ですから、時折、私達に「大きな病気をしたことがあるか…?」って訊ねられたことがありました。

というのは、医療に従事するもの、あるいはこれから医療に関わる職業に就こうとするものにとっては「痛みを体験したことがないとわからないことがある」と確信を持っておられたのでした。

 ですから、「大きな病気をしたことがありません…」と答えようものならば、「まだまだ一人前にはなれないな…」というようなことを言っておられたと思います。

 N.T 先生が亡くなられる少し前から、私は体調が思わしくなく、K大学附属病院に検査入院をしていた時でした(私の身体の異変については、どのドクターよりも早く先生が一番先に気が付かれたのでした…)。

 その時は、消灯時間が過ぎた午後9時を回ったころに家内から「T先生亡くなられた…」と電話がありました。その時の光景をいまだに忘れることができません。自分の耳を疑ったのを記憶しています。

 一時より、お元気になられたようであり、私の検査入院に対しても何か言葉を掛けて下さったように思いますが、何を言われたのかは記憶に残っていません…
 
 ただ、残念というか、無念というか、めぐり合わせというか…
うまく言葉で表現できないのですが、お亡くなりになった当日の午後の早い時間に先生はK大学附属病院の救急部に運ばれておられたのでした。
 
 そのようなことを全く知らなかった私は入院病棟の方で、ノンビリと検査を受けていたことだったに違いありません。恩師が階下の救急部に運び込まれていたにもかかわらず…

 家内からT先生の亡くなられたことを聞いた後、
その晩、いつ眠りに着いたのかは全く記憶がありませんが、暑苦しい夏の一夜が過ぎていったことだったと思います。

 少し長くなってきました…

 もうすぐお盆です。恩師の N.T 先生はどこからか、笑いながら慣れない教員生活を送る私を見守ってくれていると思えて仕方がありません。

 私は、先生は亡くなられていない。先生が大切にしておられた「医療」の中で、先生の気持ちはまだ生き続けていると思っています。

 今晩はこのくらいにしておきます…

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