2011年11月6日日曜日

関連学会の市民公開講座について

 昨日、私たち理学療法士などが日頃からお世話になっている ある学会の市民公開講座が開催されました。

 単身赴任先から高速道路を走ること約2時間。ようやく自宅がある街に帰ってきて、急いで会場に駆けました。昨晩の酒宴の疲れもありましたが、何とか会場に着いてあたりを見回しました。

 すると、どうでしょう…
私の想像をはるかに下回る入場者数…思わず、「どうしてなのだろう…」って疑問がわいてきて仕方がありませんでした。

 一般市民の方々には、情報の周知徹底がなかなか行き届かないのは仕方ありません。
しかしながら、「後援」として配布パンフレットに記載されていた「県の理学療法士会」はもちろん、「作業療法士会」、「言語聴覚士会」の所属の方々は講演内容に全く興味が無かったのでしょうか…?
あるいは、情報等がしっかりと周知徹底されておらず、知らなかった方々もおられたことかもしれません。

 いずれにしても、私たち「理学療法士」が非常にお世話になっており、同じリハビリテーションチームの一員として様々な患者さんやそのご家族に関わる際には必ず必要な職種の方々です。

 私、個人的な意見なのかもしれませんが、その日頃からお世話になっている先生方に対して非常に失礼な結果だったのではないでしょうか?何も「サクラ」をしなさいというわけではありません。

 ただ、私たちといっしょに仕事をさせて頂いている各先生方に対して、
「日頃からどのような御研究をされているのだろうか…?」あるいは「どのようなお考えの元で日々の臨床業務に臨んでおられるのだろう…?」って単純に疑問が湧いてこなかったのでしょうか…?

 ともかく、私たちの職業である「理学療法士」であれば、多くの方々が聴取に来られてもおかしくはなかったのではないでしょうか…?何か他のところで研修会等があったのでしょうか?

 ちょっと、残念でしたが、仕方ありません。
今晩はこのあたりにしておきます。

2011年11月3日木曜日

同窓会がありました

 少しばかりご無沙汰しておりました。
大学は後期授業が始まり、加えて非常勤の講義がある大学も後期授業が始まりましたので、時間に追われるようにしております。
 
 さて、40日程前の9月の下旬でしたが、 K 大学医療技術短期大学部理学療法学科・作業療法学科同期生の同窓会がありました。

 いままで、約10年ごとに開催されていたようなのですが、在学当時から できの悪かった私は殆ど参加しないままに約30年が経過していました。

 月並みかもしれませんが、30年も経過していれば、当時の恩師はもちろん、同期生はそれぞれになってきております。

 それでも、かつて同じ学校で学んだ、あるいは教えを頂いたことを本当に懐かしく、時間の過ぎるのを忘れるように語り合ったこと、楽しい時間を過ごすことができました。

 まだまだ、たくさんのことを書きたい気持ちですが、今回は、こんなところです。


2011年9月17日土曜日

訪ねてきました

 昨日、下記の写真にあります K 特別支援学校を訪ねる機会がありました。

 今回を含めて2回目の訪問でしたが、少しだけ疲れました。
でも、本当に楽しかったです。やはり、子どもさん達の喜々とした声や顔、表情あるいは姿を直接に見れることは嬉しいです。

 このことは、私が理学療法士として一番最初に勤務させて頂いた「 I 整肢学園」の楽しかった日々を思い出すことが大きな理由かと思っています。

 肢体不自由児施設である「 I 整肢学園」の隣には、養護学校(当時は特別支援学校とは言いませんでした)があり、子どもさん達は、学園から小学校あるいは中学校へ登校していました。

 当然、学校ですから年中行事があり、その度に子ども達の喜々としている様子が間近に見ることができました。

 春には、花見遠足や修学旅行がありました。5月には社会見学や運動会などがあったと思います。そして、夏になるとプール体験や海浜合宿(当時は「海浜訓練」って言っていました)がありました。そして秋になると学習発表会がありました。冬には雪遊びやそり遊び等があったと記憶しています。

 花見遠足では、金沢市郊外の公園に出掛けていくことが多かったと思います。子ども達だけでなく、職員であった私達も長かった冬が終わり、ようやく訪れた春の喜びを感じた行事でした。

 また夏の海浜合宿は学校単独の行事ではなく、学園の職員や父兄等も参加しており、子ども達が寝静まった後には、いつも酒宴がありました。決して酒宴が楽しかったというわけではありませんが、その中で様々な方たちの「本音」が聞かれることがあり、本当に勉強になったと記憶しております。

 さらに秋の学習発表会では、子ども達が一生懸命に取り組む劇等でいつも涙腺が緩められる思いでした。冬の雪遊びでは初めての雪に触れる子ども達の驚くような顔が見かけられました。

 そんな楽しかった「かつての職場」での子ども達の様子と重なって見えたのかもしれません。これから先、しばらく訪問する機会がありそうです。
 
 また楽しみが増えたような気持ちです。

2011年9月
撮影

2011年9月14日水曜日

実習報告会

 今日、本学4年生の総合臨床実習報告会がありました。
各教員で分担しておりますので、12名の学生が発表するのを2名の教員で聞いていました。

  結論から言うと、「少し成長していた学生」あるいは「あまり変化が見られなかった学生(良い方向への)」が殆どであったと思いました。

 ひとつだけ、気になった点がありました。
それは、学生が担当して報告した「患者さん」がほぼ全てが高齢者であり、転倒による「骨折」の患者さんだったのです。

 たしかに、ご協力頂いている「臨床実習先」の病院・施設の患者さんですから、私からとやかく言うことではありません。ただ、あまりにも転倒による受傷する高齢者の方々が多いという現実を突きつけられた気がしてなりません。

 もちろん、日本は未だ嘗てない「高齢社会」を経験しているわけですから、当たり前と言えば当たり前過ぎることなのだと考えるしかないのだと思います。

 かくいう、私も50歳を過ぎてしまい、「いつ」「どこで」倒れても仕方のないことなのかもしれません。できることであれば、そうならないように願っても神のみぞ知ることなのだと思って生きていかなければならないのでしょう。

 だからこそ、日々の過ごし方を真剣に考えていかなければならないのだと思います…
若い学生さんや臨床の現場で頑張っている若い理学療法士の方々には、まだまだ理解し難いことなのかもしれません。

 しかし、人間だれしも年老いてくるものだということ、
「どこか、肝に銘じておかなければならない」と思うしかないのでしょう。

 私のかつての恩師であった N.T 先生はいつも「覚悟」をして生きておられたように思えて仕方がありません。学生さん達の実習報告から、また自分の人生を考えさせられたような1日でした。

  今晩はこの辺りです。

2011年9月11日日曜日

少し残念なこと、嬉しいこと…

 本日、今年度ほぼ最後かと思うオープンキャンパスがありました。
厳密に言うと、あと1回来月に予定されているのですが…

 どうしてかと言うと、6月から7月、8月そして9月と実施されてきたスタイル(学科説明会、学科企画、模擬授業など)は終了なのです。

 それで、今回のオープンキャンパス実施のために学生さん達のお手伝いをして頂きたくて、先日来メールにて学生さん達に連絡をしてきました。

 結果から言いますと、たくさんの学生さん達が在学しているにもかかわらず「たった3名」の学生さんだけしかご協力が得られませんでした。

 まぁ、1年生と2年生は夏休み終盤で、まだ帰省している方がおられると思われますし、追試・再試があったのは事実です。また3年生は後期の授業が始まっており、追試・再試に追われている方がおられるのは十分承知致しております。

 それに4年生は約2週間前に総合臨床実習が終わったところで、その疲れを癒している最中なのかもしれません。あるいは実習報告が目前に控えているグループがあるのかと思います。

 しかし、それにしても、一斉メールや個別メール、あるグループにメールを入れてきて、ご協力を願い出てきましたが、殆ど返信メール無し…

 あまりの反応の悪さに、自分の教員としての人気の低さに落ち込むこともありました…
ただ、本日、ご協力して下さった3名の姿を見ていて、本当に嬉しく思いました。

 なかには、前期試験で追試験を課した学生がいたのには驚きました…
そして、ただひたすら一生懸命にご協力して下さっていました。

 思わず、心の中で「この学生にこそ、『優』を出しておけば良かった…」って考え直すことがありました。でも、彼はひたすら働いてくれており、「成績の悪かったのは自分のせいです…」と返答。

 少々、個人的ですが、このような「ただ、ひたすらに努力してくれる学生さん」こそ、「将来は、立派な理学療法士に育って欲しい」って感じました。

 私達、理学療法士の仕事っていうのは、本当に効率よく働くに越したことはありません。
しかしながら、相手が人間の仕事です。

 「いっしょうけんめいに働く姿」を見ている患者さんは必ず思ってくれるはずです。
「理学療法士の先生がいっしょうけんめいに取り組んでくれているんだ…」って感じさせることのできるのは、ある種本人が意識していない「才能」なのかもしれません。

 今後、私はこのような「才能」を見つけてあげること、そして伸ばしていってあげることが職務なのかもしれないと感じた1日でした。

今晩はこのあたりです…

2011年9月7日水曜日

神戸での病院等見学について

 前回、I.N 先生に引率されて神戸へ見学に行ったことをお話し致しました.
そこで、少しだけ記憶しているのは大きなリハビリテーションセンターを見学した後、N先生がかつてご勤務しておられた A 病院へ行きました.

  そこは神戸市内より少し山あいの方にあったと記憶しております。のどかな雰囲気を感じました。病院の玄関近くには一匹のサルが飼われていたと思います.

 私達学生は、そのサルを見て「どうして飼われているのだろう…」「もしかしたら、N先生が飼っていたのかも…」というように勝手な想像を話し合っていたものでした…

 その後、病院内を一通り見学させて頂きましたが、何時頃になったのかは全く記憶に残っていません.ただ、その晩は病院の理学療法室に学生全員が宿泊(というよりも、雑魚寝…?)させて頂きました。もちろん、病院の浴室でシャワーを使った記憶は残っております.そして、当時の私は何の疑問もなく、同期生達と一夜を過ごしたと記憶しております。

 一夜明けて、病院の食堂で I.N 先生と朝食を取った記憶がおぼろげながらに残っています。そして、私達は病院見学を終えたのだった思います。

 今から31年前の夏休みの終わりの思い出として残っています.今、私の周囲にいる学生さん達に同じような見学を兼ねた旅行が可能かどうかはわかりませんが、当時はそのように病院見学に出掛けたものだったと思っています.

2011年8月28日日曜日

かつて、神戸へ病院見学に行きました…

  前回、I.N 先生のことについて少し書かせて頂きました。
それで思い出したのですが、今から31年前の8月下旬か9月上旬のことだったと思います。ちょうど、今ぐらいの時期だったことに間違いありません。

  私が理学療法を学び始めて2年目の夏休みでした。今度は関西地方の病院あるいはリハビリテーションセンターへ見学に行くことになりました。その時、I.N 先生が引率して下さったのでした。

  随分前のことなので、記憶が定かではありません。ただ、記憶しているのは私と当時同期だったSさんが交通手段(当時は参加学生は電車で移動するのが当たり前でした)の確認などを担当したと記憶しています。

 はっきりと時刻を憶えてはいませんが、午前3時頃に金沢駅に集合、出発したものでした(以前にも書きましたように、1年生の時には関東方面へ見学に行きましたが、その時も夜行列車でした)。

  これも、楽しかった夏休みの旅行のように記憶が残っています。少しずつ思い出すようにして追って記載していきたいと考えています。

 少しだけお時間下さい。思い出しながら書いていきます。今晩はこの辺りです…

2009年1月 JR金沢駅にて撮影
写真は文章の中にある列車とは関係ありません

2011年8月27日土曜日

恩師について

 最近、お世話になった恩師について思うことが度々あります。
それだけ、自分が年をとってきたことかと実感しています。また教員という立場になっているからでしょう。

  私は学生時代のことを振り返れば、「将来は教員になる」ということを全く考えていなかったかと思います。理由は簡単です。学生時代の成績が良くなかったからです。

 できの悪かった自分が後進の指導をするなんて本当に考えられなかったのです。
ただ卒業後、臨床の現場で仕事をしていた頃には半ば仕方なく実習生を指導することはありました。

 しかしながら、何かの縁があったのかもしれません。現在は「将来の理学療法士」を育てています。日々の講義等の中で学生の姿を見て、自分の学生時代を振り返りながら、「学生だった頃、随分と先生の言うことを聞かなかったものだなぁ…」と反省することがあります。

 本当に恥ずかしいことです。特に1年生になった頃にお世話になったN先生には深くお詫びを言いたい気持ちでです。現在、I.N 先生はある大学で教壇に立っておられるのですが、数年前に体調を崩されたことをかつての同級生から聞いています。

 できるだけ近いうちに、訪ねる機会をつくり、お詫び方々お会いしたいと考えています。
今晩も少し長くなりました…

 8月が終わろうとしています。またあわただしい日々が始まります。
かつての恩師の先生方をできるだけ忘れないように過ごしていきたいと思っています。


2010年11月  撮影
写真は文章と関係ありません




2011年8月23日火曜日

オープンキャンパス

 8月15日、本学でオープンキャンパスがありました。
今年は入試広報委員ということもあり、お盆の中ではありましたが微力ながらオープンキャンパスに参加しました。また在学生の学生さん達でご協力頂いた方々、本当にご苦労さまでした。改めて感謝致します。

 大変暑い中、たくさんの高校生あるいは親御さんが参加して下さいました。本当にありがとうございました。高校生の皆さんを見ていると、入学前に大学を訪問することやその大学の先生や在学生の先輩と接することができることを本当にうらやましく思いました。

 自分のことを振り返れば、高校生までは能登半島の先端に暮らしていたこともあり、周囲に大学というものが存在しませんでした。当然、直接大学の雰囲気に触れることができなかった思いがあります。

 ただ、全く無かったのかと言えば、そうでもありませんでした。それほど、近くではありませんでしたが、自宅から約20キロ離れたところに「金沢大学理学部付属臨海実験所(当時はこのような名称だったと記憶しています)」という機関がありました。

 小学5年生あるいは6年生だったかは忘れてしまいましたが、訪れる機会があったと記憶に残っています。その時は、海洋生物等の勉強目的だったのかもしれません。薬品臭が立ち込める実験所を少しばかり恐々と見学していたものと思います…

 先日、訪れて様々な体験をされた高校生の皆さんも、きっと将来思い出されることがあるかもしれません。その時、どのような記憶が残っていることでしょう…
 
 いい思い出として、将来まで残っていることを望んでいます。

2009年7月 撮影
オープンキャンパスにて
  

2011年8月13日土曜日

恩師のこと‐その2

 前回は、私が理学療法士になって初めて勤務した職場の園長先生の話しを少しだけさせて頂きました。 

 その続きです。
 N.T 先生は大正15年生まれの方でした。とても、そのような雰囲気がしない整形外科の先生でした。というのは、ひとことで言い切ることはできませんが、当時にしては、本当に腰の低いドクターでした。患者さんに対してはもちろん、私達のような年下のものに対してもでした。
 
 学生の時に習っていた時はもちろんでしたが、理学療法士として勤務して先生の下(もと)で仕事をさせて頂いていた時もでした。私達に対して、絶対に叱ったことが無かったと記憶しています。いつも、笑顔で接して下さっていました。本当に笑顔しか見たことが無かった先生でした。

 そんな魅力的な先生と「一緒に長く仕事をしたかった…」と、今も思っています…
実は、昭和62年7月初旬、先生は突然他界されたのでした。享年62歳でした。
 それまでは激しい臨床業務に携われる一方、長くに闘病生活も送っておられたのでした。
ですから、時折、私達に「大きな病気をしたことがあるか…?」って訊ねられたことがありました。

というのは、医療に従事するもの、あるいはこれから医療に関わる職業に就こうとするものにとっては「痛みを体験したことがないとわからないことがある」と確信を持っておられたのでした。

 ですから、「大きな病気をしたことがありません…」と答えようものならば、「まだまだ一人前にはなれないな…」というようなことを言っておられたと思います。

 N.T 先生が亡くなられる少し前から、私は体調が思わしくなく、K大学附属病院に検査入院をしていた時でした(私の身体の異変については、どのドクターよりも早く先生が一番先に気が付かれたのでした…)。

 その時は、消灯時間が過ぎた午後9時を回ったころに家内から「T先生亡くなられた…」と電話がありました。その時の光景をいまだに忘れることができません。自分の耳を疑ったのを記憶しています。

 一時より、お元気になられたようであり、私の検査入院に対しても何か言葉を掛けて下さったように思いますが、何を言われたのかは記憶に残っていません…
 
 ただ、残念というか、無念というか、めぐり合わせというか…
うまく言葉で表現できないのですが、お亡くなりになった当日の午後の早い時間に先生はK大学附属病院の救急部に運ばれておられたのでした。
 
 そのようなことを全く知らなかった私は入院病棟の方で、ノンビリと検査を受けていたことだったに違いありません。恩師が階下の救急部に運び込まれていたにもかかわらず…

 家内からT先生の亡くなられたことを聞いた後、
その晩、いつ眠りに着いたのかは全く記憶がありませんが、暑苦しい夏の一夜が過ぎていったことだったと思います。

 少し長くなってきました…

 もうすぐお盆です。恩師の N.T 先生はどこからか、笑いながら慣れない教員生活を送る私を見守ってくれていると思えて仕方がありません。

 私は、先生は亡くなられていない。先生が大切にしておられた「医療」の中で、先生の気持ちはまだ生き続けていると思っています。

 今晩はこのくらいにしておきます…

2011年8月10日水曜日

恩師のこと

 先日来、気になっていた知り合いの詩人の方から連絡があったので、約1ヶ月遅れで詩集出版の件を更新しておきました(実はブログの更新のこともあり、できるだけ早くに紹介したかったのですが…)。


 さて、以前より6月下旬から7月上旬にかけてというのは、自分にとって忘れられないことばかりです。「いまさら…」って思われる方がおられるかもしれませんが、6月30日は自分の誕生日でもあります(昨年は誕生日にかかわる思い出を書かせて頂きました)。

 今回は自分の誕生日ではなく、恩師の話です。
その方は、N.T 先生です(ご親族の了解を得ていませんので、いましばらくこのような表現をさせて頂きます)。

 私がその先生に最初に出会ったのが、昭和55年の4月だったと記憶しています。当時、理学療法を学び始めて約1年が経過しておりました。

 しかしながら、なかなか興味を持つことができなくて、少し悩んでいました。そのような時期に、N.T 先生の講義で出会いがありました。先生は専任の教員ではなく、非常勤の講師という形で講義をして頂きました。

 先生は整形外科医であり、市内にある肢体不自由児施設の園長先生をしておられました関係で、とてもお忙しい日々を送っておられたように記憶しております。

 記憶に残っている光景では、講義の当日には、学校の駐車場には先生が乗ってきておられた「ブルーバード」が停まっていました。そして、先生はいつも「先ほど、患者さんの診察が終わったところ…」っておっしゃっておられたように記憶しております。

 そうです。先生はいつも臨床業務の傍ら、私達に「小児整形外科学」を教授して下さっていたのです。講義は専任の先生方とは違い、学生にとってはとっても楽しかったと記憶しています。

 よく脱線されて、自分の青春時代のことを思い出して熱く語って下さったと思います。もちろん、学生が好むように男女の話なども織り交ぜながら、時には大学教授に対する不満も…さらに政治に関しても…ともかく、魅力的な先生でした。

 そんな先生との出会いがあり、その3年後に先生の下で理学療法士として勤務することになったのです。少し長くなりそうなので、本日はこのくらいにしておきます。


 
 

2011年8月5日金曜日

詩集出版記念パーティー

2011年7月
金沢市内にて
 先月初め、金沢へ帰省した折、少し前からの知り合いの詩人の K.Yさんが、第4冊目の詩集を出版され、その出版記念パーティーがありました。

 いつも、文章等を読ませて頂くたびに身が引き締まる思いが致します。自分自身は、毎日を無為に過ごしがちに送っているためかもしれません。
 
 彼の真摯な表現や生き方には本当に脱帽ということばぐらいしか、適切な言葉が出てきません。
 
 3月の震災から、当日でちょうど4カ月が過ぎてしまいました。この間、自分として何一つできていないことは痛切に実感しております。

 全く、毎日を無為に過ごしているかのような日々かと思っています。
ただ、決してこれでいいと思っているわけではありません。

 彼が第4冊目の詩集を出版するにあたり、第三作目以降は非常に大変だったことは、当日の彼の言葉あるいは詩集からよくわかりました。 

 出版物を世に出すということは容易ならないものであること教えて頂いたと思います。今後は彼を見習って、毎日を真摯に過ごしていこうと思っております。
 
 また大学の教員であることから、出版物を世に問うことの活動性を高めていくように過ごしたいと思っています。

2011年7月8日金曜日

もうすぐ楽しい夏休みです。学生さんはがんばって前期試験を乗り越えて下さい

7月に入り、蒸し暑い日々が続いていました。今日は早朝に岐阜を出発し、石川に帰ってきました。クルマを降りるや、真夏のような日差しがふりそそいでいました。

よく考えてみれば、梅雨明けはもう近いのかもしれません。この時期に生まれたからというわけではないかと思いますが、四季の中で夏が最も好きです。

というのは、以前にこのブログで書かせてもらったかと思いますが…
理由は活動的になれるからです。20歳前後のころには、この時期になると自転車での旅行を企てていたものです。

いまは、全くできない状況ですが、何かのチャンスに再び実行してみたいと考えています。できれば、幼い頃にマーちゃんと自転車で走った能登の懐かしい道路を走ってみたいと思っています(写真)。

かつて、写真の坂道をマーちゃんと3月下旬か4月上旬に走ったのです。
昨夏、帰省した際に懐かしさのあまりに写真を撮影したのです。あれから、何十年が過ぎてしまったことでしょうか…

個人的には、いまだに人生の坂道を登り続けなければならない状況のような気がします…ただ、身体的には少しずつ老化していることを自覚はしておりますが…

ともかく、学生さん達は少々つらい日々かもしれませんが、
前期試験を無事に乗り越えて楽しい夏休みを過ごして下さい。  

2010年8月撮影
石川県能登町にて

2011年7月1日金曜日

医療従事者になるならば、簡単にあきらめないこと

理学療法士を目指している学生さん達は必ず臨床実習を経験しなければいけません。

  ここでは、詳しい時間等条件を述べることは致しませんが、かつて臨床の現場で仕事をしていた時には多くの学生さん達が実習にやってきていました。
非常に優秀な学生さんから途中で止めてしまった学生さんまでいた記憶があります。


2010年8月撮影
岐阜県にて
ただ、途中でやめてしまった学生さん達には、一度の失敗だけで諦めることなく、「どうしても理学療法士になりたい」という気持ちが続いているようであれば、再度チャレンジされてみられることを応援したいと考えます。

昨年夏、石川県から岐阜県へ向かう際に、道路横の川(長良川?)の急流で写真の如く、カヌーを楽しんでおられた方々を見ました。たとえは適切ではありませんが、カヌーを楽しむかのように臨床実習に望む気持ちがあってもいいのではないでしょうか?

  目標に向かって最後まで諦めることなく、
何回でも立ち直っていく気迫も時には必要だと思います。


2011年6月28日火曜日

実習報告会

2008年5月
撮影
石川県能登有料道路
高松SAにて
 今日、先週まで臨床実習に行って頑張っていた4年生の実習報告会がありました。

皆さん、さまざまな患者さんを担当させて頂いたことに感謝を込めて実習報告していた思いました。
 30年前、私も拙い実習報告をした記憶が残っています。なかでも、最初に実習をさせて頂いた病院の患者さんについてはいまだに忘れておりません。

 どうか、学生さん達も今日限りで忘れることなく、胸の片隅にいつまでも記憶に留めておくようにしていて下さい。あなた達に様々なことを教えてくださった大切な恩師です。

2011年6月25日土曜日

かつての恩師から電話がありました

30年前、私は学生時代に仙台市郊外にある施設で10週間にわたり実習でお世話になりました。以来、一度研究会で仙台を訪れたことがあっただけで、音信不通の非礼を致しておりました。

しかしながら、折にふれ、理学療法士会員名簿で当時お世話になった恩師のM先生は、まだ同じ施設に在職しておられることを確認にしていました。

そして、3月11日の震災。どうしても安否を確認したくて、ホームページからメールで連絡を入れました。10日程経過した、3月24日の午後5時少し前に、いきなりM先生から電話連絡があり、無事だというご連絡を頂きました。私は突然の電話による連絡を全く予期していなかったゆえに驚くばかりでした。

それから、会話は4年前の能登半島沖地震にさかのぼり、「アナタの実家は大丈夫だったのか?」と逆に聞かれるにいたっては、かえって恐縮した次第である。
さらに、30年前のお世話になっていた当時のエピソードまで聞かされて、自分の幼かった愚行に呆れるやら、恥ずかしいやら…

今後は音信を不通にしていた嘗ての恩師との再会を果たしたいと考えています。

2011年6月24日金曜日

また再開致します


2010年8月
撮影
岐阜県 荘川桜
  昨年の秋に最後の更新をしたまま、なかなか更新できずにいました…

この間、私達日本人にとって、いろいろなことが身の回りに起きました…

少しずつですが、思ったことや思い続けていること等を、また書き始めていきたいと思います。

今後とも、よろしくお願い致します。