2011年6月28日火曜日

実習報告会

2008年5月
撮影
石川県能登有料道路
高松SAにて
 今日、先週まで臨床実習に行って頑張っていた4年生の実習報告会がありました。

皆さん、さまざまな患者さんを担当させて頂いたことに感謝を込めて実習報告していた思いました。
 30年前、私も拙い実習報告をした記憶が残っています。なかでも、最初に実習をさせて頂いた病院の患者さんについてはいまだに忘れておりません。

 どうか、学生さん達も今日限りで忘れることなく、胸の片隅にいつまでも記憶に留めておくようにしていて下さい。あなた達に様々なことを教えてくださった大切な恩師です。

2011年6月25日土曜日

かつての恩師から電話がありました

30年前、私は学生時代に仙台市郊外にある施設で10週間にわたり実習でお世話になりました。以来、一度研究会で仙台を訪れたことがあっただけで、音信不通の非礼を致しておりました。

しかしながら、折にふれ、理学療法士会員名簿で当時お世話になった恩師のM先生は、まだ同じ施設に在職しておられることを確認にしていました。

そして、3月11日の震災。どうしても安否を確認したくて、ホームページからメールで連絡を入れました。10日程経過した、3月24日の午後5時少し前に、いきなりM先生から電話連絡があり、無事だというご連絡を頂きました。私は突然の電話による連絡を全く予期していなかったゆえに驚くばかりでした。

それから、会話は4年前の能登半島沖地震にさかのぼり、「アナタの実家は大丈夫だったのか?」と逆に聞かれるにいたっては、かえって恐縮した次第である。
さらに、30年前のお世話になっていた当時のエピソードまで聞かされて、自分の幼かった愚行に呆れるやら、恥ずかしいやら…

今後は音信を不通にしていた嘗ての恩師との再会を果たしたいと考えています。

2011年6月24日金曜日

また再開致します


2010年8月
撮影
岐阜県 荘川桜
  昨年の秋に最後の更新をしたまま、なかなか更新できずにいました…

この間、私達日本人にとって、いろいろなことが身の回りに起きました…

少しずつですが、思ったことや思い続けていること等を、また書き始めていきたいと思います。

今後とも、よろしくお願い致します。

2010年10月16日土曜日

第37回国際福祉機器展 その2

お待たせ致しました…
大学での後期授業が本格的に始まった為になかなか更新できずにいました…

写真1 東京ビッグサイトにて
2010年10月撮影
 前回、ご報告致しました「国際福祉機器展」に関してですが、理学療法士を目指している学生さんや若い理学療法士の方には馴染みが無いかもしれません。

しかしながら、写真1のように会場では各種のセミナーや各社からの新製品に関するワークショップ等で各会場では所狭しと熱心な人たちがあふれかえっていることがあります。

中には、世界トップレベルの車いすなどの新製品の発表があり、理学療法士としては「世界のレベル」を知ることができます。


写真2 東京ビッグサイトにて
2010年9月撮影
また、多くの一般市民の方々やユーザーの方々が訪れています(写真2)。
ですから、どのような「モノ」が望まれているのかを、リサーチすることも可能かと考えています。

近年、理学療法士、あるいは理学療法を志す学生さん達の中では「学会至上主義」みたいな風潮があるかと考えられます。

この点については、機会があれば改めて取り上げてみたいと考えています。

ただ、理学療法士が学術活動として研究活動をするのは間違っていないかと思いますが、臨床の現場で患者さんが使用する補助器具(福祉機器)を知らないではすまされないのではないでしょうか?

写真3 東京ビッグサイトにて
2010年9月
 このようなことを偉そうに言っている自分も非常勤で勤務している子どもさん達が通う「発達センター」で調節することができなかった歩行器(写真3)について、会場で説明していただきました。

取り扱い業者の方々、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

しっかりと調節できるようになり、臨床の現場で子どもさん達に使用していただこうかと考えております。

2010年10月1日金曜日

第37回国際福祉機器展

写真1:(東京ビッグサイトにて 2010年9月撮影)

本日(9月30日)、東京で開催されている第37回国際福祉機器展へ参加してきました。
昨年に引き続き2年連絡の参加です。

理学療法士を目指しておられる学生さんであれば、あまりご存じないかと思います。

一方、理学療法士として勤務されておられる方には一度はお聞きになったことがある催しかと思います。

かつて、肢体不自由児施設で勤務していた頃は、毎年出かけていくようにしておりました。

理由は、脳性麻痺の子供さんたち等が使用する目的で開発された最新の車いすや座位保持装置が展示されているからです。

やはり、できるだけ新しい機器であり、できるだけ運動機能を補助する器具をリサーチしておく必要があると思っているからです。
この考えは、いまも変わっていません。

写真2:(東京ビッグサイト 2009年9月撮影)
※今年はうまく撮影できなかったので昨年のものを使用しています

毎年、会場内は本当に沢山の人たちで混雑しています。なかでも、驚くのは大勢のユーザーやその家族の方々の大変熱心な参加です。

やはり、「できる限り良いものを…」というお考えのものかと思えて仕方がありません。

各ブース前では、ユーザーと各企業の担当者との熱心な会話や質問等が繰り返されています。

理学療法士を目指している学生さんや若い理学療法士の方で福祉機器(補助器具)にご興味をお持ちの方は是非ともご参加されてはいかがでしょうか?

次回以降、少しだけ詳しくご報告できるかと思います。お楽しみにしていて下さい。


2010年9月23日木曜日

鉄道(電車)のあることの意味

写真1:JR東富山駅(2009年3月撮影)
前回、電車のことを話しましたので、少し鉄道のことを話題にしてみたいと思います。

写真1はJR東富山駅です。2008年9月から2009年3月まで、この駅で降りて前回お話しした田園風景の中を通勤致しました。

時間的には、徒歩で約30分。クルマであれば、約10分だったかと思います。

朝晩、通勤や通学の方が大勢利用していたと記憶しています。やはり、鉄道は周辺地域の住民の方々にとってはとても大切な公共交通機関だと考えています。

写真2:のと鉄道 旧 上戸駅(2010年8月撮影)
当然、高齢者にとっても利用しやすいものかと考えます。

ちょっと、ここで私の実家である能登半島の先端にはかつて鉄道がありました…

しかしながら、現在は廃止されてしまい、かつての駅舎は荒れ果てています。

約30年前、私はこの駅から旅立ちました。金沢にある理学療法士の養成校に入学するために…

その後、実家への帰省やまた金沢へ帰る時に何度も使ったと思います。

そんな、思い出深い駅舎です。詳しい経緯は憶えていませんが、経営の合理化のために廃線となったと記憶しています。

しかし、鉄道が無くなってからは駅周辺は廃れ、過疎地域であればあるほど荒廃に拍車がかかったのではないかと思えて仕方ありません。
(詳しいことは以下のURLをご覧下さい http://pi-taro.sakura.ne.jp/noto-line/)

実際、私の年老いた母親は歯科医院受診のために不便になったと言っています。
代替交通となったバスでは雪の影響を受けやすく、定時の運行が難しいことが想像されます。

鉄道会社と地域住民が時間をかけて作り上げてきた共有財産だったのではないでしょうか?
地域で共有される貴重な社会資源であったことと思えてなりません。

たしかに、能登半島の先端の小さな町でも「クルマ社会」の影響を受けているものと思われるくらい、クルマでの移動が多くなっています。

ただ、「交通弱者」と言われるような高齢者や子ども達にとっては、貴重な資源であったことは疑う余地はありません。

季節柄、感傷的になっているからかもしれません。
今日は、「クルマ社会」からすれば、小さな立場に目線をおいて考えてみました。

最近は、地域のローカル線を見るたびに「いつまでも変わらない存続」を願っています。

2010年9月21日火曜日

2年前の9月…

写真1:富山県総合リハビリテーションセンターを望む
9月に入り、すでに20日が経ちました。やはり、時間の経つのは早いものですね。

読者の皆さん、お元気ですか?お変わりありませんか?・・・
本当に猛暑だった夏でしたね…
皆さんの中で体調を崩された方はおられませんか?

夏生まれで、夏が大好きな私も今夏は本当にマイってしまいました…
理由はいろいろありました…

まだかなり尾を引いて入るような状況ですが、何とか過ごしております…


写真2:富山平野から北アルプス立山・剣岳を望む
さて、「9月」と聞くと、私には多くのことを思い出します。夏休みの終わり、2学期、秋祭り、運動会…際限なく浮かんでくるようです。

でも、今日は今から2年前(2008年)の9月を思い出しています。

その年(2008年)の3月、私は金沢市にある病院を退職しました。理由は幾つかあったのですが、その1つに「ある専門学校の教員に…」という話しがありました…
(その学校の教員は以前から十分に承知している方でしたが…)

でも、私の勘違いなのか、どうかわかりませんが、蓋を開けてみると「まず非常勤から…」ということで、常勤の専任教員ではなかったのです…

何となく「騙された」というような印象が拭いきれずにいました(この点については、後日機会がありましたら、少し詳しく書いてみたいと考えています…)。

そこで、4月に入るや、就職活動を開始しました。病院や大学・専門学校の教員等々…
苦労の甲斐あってか、現在の勤務先である大学から7月に内定を頂きました。

しかしながら、勤務開始が2009年4月ということで、6ヶ月以上殆ど仕事無しでは済まされません…(当時、私は49歳)
それで、半年間の仕事を探しておりましたところ、富山県での臨時的任用職員の募集を知り、応募致しました。

幸いにも、採用していただき、2008年9月から勤務することになったのです。
当初は、毎日金沢から富山までの電車通勤に少しばかりの戸惑いを覚えたものでしたが、数週間で慣れてしまいました。

写真1・2はJR金沢駅~JR東富山駅まで電車で移動した後、JR東富山駅から徒歩で約30分間通っていた時の風景でした(撮影日:2008年9月19日)。


写真3:石川県珠洲市 2010年8月撮影
以前から言っているように、皆さんはご存知かと思いますが、私は能登半島の先端にある珠洲市の小さな町に育ちました(写真3:実家近くの田園風景)。

ですから、写真1・2にある田園風景にはとても懐かしい思いがありました…
毎朝・毎晩、田んぼの横を歩いていると、収穫の終わった田んぼからは幼かった頃によく感じた稲刈り後の「(稲株の)におい」を感じ取ることができました。

稲刈り後の「あのにおい…」って、いつも子どもの頃には思っていました。

いまでも忘れていません。
2008年の9月、自分が幼かった頃のことを思い出しながら、とても幸せな気持ちで毎日仕事に行くことができたことを。
そして、毎日感謝しながら、通っていました…

さらにJR東富山駅から勤務先までの田園風景の中を北陸線が走っており、JR西日本のさまざまな列車を見ることができました。なかでも、通勤時間帯に札幌発大阪行きの「トワイライトエクスプレス」がゆっくりと走っていく姿を見ながら、「いつか乗ってみたい…」って思っていました。

あいにく、当時は電車の写真を撮影したのですが、どれもうまく撮影できていませんでしたので、
ここにはのせることができないのが残念です。

少し長くなりました…
とても幸せな2008年の9月の日々でした。

追伸:本日(9月21日)午後8時から、先日金沢でお会いした方がテレビ出演されます。
     お時間のある方はご覧下さい。
         (URL:http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/rehab/index.html)